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3.主題講演
「希望の根拠」
一主はいま、活きておられる- 浦和キリスト集会 関根 義夫
「希望の根拠」要旨
主はいま、活きておられる 内村の生涯において、そのもっとも大きな霊的危機は、破婚の痛みに耐えず、異郷の地に渡らなければならなくなった8寺であるに違いない。彼は「余は如何にして・・・」の中て「余が病院勤務に入ったのは、・・・ただ、余はそれを「来たるべき怒り」からの唯一の避難所であると考え、そこで余の肉を服従させ、内的状態に達するように自身を訓練し、かくて天国を継ごうとしたためである。・・・ 余がその要求に自分自身を合致させようと努力する中に、余の生来の利己心はそのあらゆる恐ろしい極悪の姿を持って余に現れた。そして余自身の中に認めた暗黒に圧倒されて、余は意気消沈し、言うべからざる苦悩に悶えた。・・・」と綴っている。しかし、その彼が後に、「余はそこで、故国で洗礼を受けてから、約十年の後に、本当に回心させられた、すなわち向きを変えさせられた、のであると信ずる。」と記すにいたる。この魂の再生のきっかけとなったのがシーリー先生との出会いであったことはよく知られている。しかし内村に起こった霊的変化は、それ以上のことであったのではないか。それは彼自身が「主はそこにて余にご自身を現したもうた。(The Lord revealed Himself to me there)」と記しているからである。彼はこの時、主ご自身に出会ったのである、と思う。もちろんこのことはシーリー先生なしには決して起きなかったことではあるが。聖書の中には、多くの先人たちが、その霊的危機の中で、いま活きて働いていらっしゃる主にお会いすることによって新しい命を与えられ、その後の生涯を主に向かって生きたことを伝えている。わたしたちの主は、ゴルゴダの丘で絶命されてから三日目によみがえられ、いま活きて働いていらっしやり、信じる者に、聖霊としていつも臨んでくださっている。そればかりではなく、時満ちて、必ずわたしたちの肉の目に見える姿でお出でくださる。ここに、わたしたちの尽きない希望の根拠があるのである。 「主は、いま活きておられる」 その1 ヤコブよ、なぜ言うのか、イスラエルよ、なぜ断言するのか、 わたしの道は主に隠されている、わたしの裁きは神に忘れられた、と。 あなたは知らないのか、聞いたことがないのか。 主はとこしえにいます神 地の果てに及ぶすべての物の造り主。 倦むことなく、疲れることなく、 その英知は究めがたい。 疲れたものに力を与え、 勢いを失っているものに大きな力を与えられる。 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、 主に望みをおく者は 新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。 イザヤ書40章27-31 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで あなた方を満たし、聖霊の力によって希望に満ち溢れさせてくださるように。 ローマの信徒への手紙15:13 内村の生涯において、その最も深刻な霊的危機は、浅田タケ女との破婚であったと言えるでしょう。 破婚そのものも重大な事態ですが、彼の場合、それがなぜ霊的な危機であったかというならば、彼が札幌で受け入れたキリスト教が、破婚による彼の痛手を癒すことができなかった。そのために彼は故国に留まることが出来なくなり、異教の地に渡らなければならなくなったのでした。 彼は後に「余は如何にして基督信徒になりし乎」の、第8章「基督教国にて―ニュー・イングランドのカレッジ生活」の冒頭で、「余はニュー・イングランドをぜひとも見るべきであった、余のキリスト教はもともとニュー・イングランドから来たものであって、彼女はそれによって引き起こされたすべての内心の争闘に責任があったからである。余は彼女に一種の請求権を持っていた、・・・」と記していることからもそれがうかがえます。 ところで「余は如何にして・・・」の中で、内村自身の、最も苦悩に満ちた言葉が記されているのは、その第七章「キリスト教国にて ― 慈善家の間にて」の次の部分です。 そこには、彼がペンシルベニアの、知的障害を持つ子どもたちのための一施設で、看護人として働くことになった時の心境が記されています。鈴木俊郎訳 岩波文庫版で引用させていただきます。 「ここに記させてもらいたいのは、余が病院勤務に入ったのは、マルチン・ルーテルをエルフルト僧院に遂いやったとやや同じ目的を持ってである。余がこの歩みをとったのは、世界がその方面に余の奉仕を必要とすると考えたためではない、いわんや(たとえ貧しくとも)余はそれを職業として求めたためではない、ただそれを「来るべき怒り」からの唯一の避難所であると考え、そこで余の肉を服従させ、内的純潔の状態に到達するように自身を訓練し、かくして天国を嗣ごうとしたためである。 心底ではそれゆえ余は利己的であった、そして利己主義はいかなる形で表れても悪魔のものであり、罪であることを、余は幾多の苦しい経験によって学ぶにいたった。慈善の要求するものは完全な自己犠牲と全部的の自己没却であるが、余がその要求に自分自身を合致させようと努力するなかに、余の生来の利己心はそのあらゆる恐ろしい極悪の姿を持って余に現された、そして余自身の中に認めた暗黒に圧倒されて、余は意気消沈し、言うべからざる苦悩に悶えた。」 慈善によって自らの魂の救済を達成しようと考えた内村は、間もなく行き詰まり、働き続けることが出来なくなり、そこを去ることになります。 「悲しい心を抱いて余は病院とそこで得た多くの善き友人たちとを後にした、余の不完全な勤務と余の身を親愛なドクターの配慮に委ねてから、かくも速やかな計画の変更とを深く後悔しつつ」彼はニュー・イングランドのかの地に向かうことになります。 かの地で、彼がどのようにして、遂に魂の新生を迎えることになったかについては、改めてここで述べるまでもありません。 しかし、ここで、どうしても確認しておかなければならないことがあります。 それは、この書の第八章「キリスト教国にて ― ニュー・イングランドのカレッジ生活」の末尾に近いところに記されている彼の次の文章です。 「以上の様な回想を持って、余のニュー・イングランドのカレッジ時代は終わりに達した。 余はそこに重い心を抱いて入った、そして余の主なる救拯主にある勝利の誇りを持ってそこを去った。その時以来余はなお多くを知った、しかしただ余のカレッジの古典的な丘の上で知ったことを確証するにすぎなかった。余はそこで、故国で洗礼を受けてから約十年の後に、本当に回心させられた、すなわち向きを変えられた、のであると信ずる。主はそこにて余にご自身を現したもうた、特にかのひとりの人を通して ― 鷲のような眼、獅子のような顔、小羊の様な心の、余のカレッジの総長を通して。」 私たちは、彼内村が、その魂の新生、回心を経験することになったのは、一重に、彼が敬愛し、尊敬して止まないシーリー総長との出会いによる、と考えております。それは彼の次の言葉からも充分知ることが出来ます。 「総長先生彼自身にまさって余を感化し変化させたものはなかった。彼がチャペルで起立し、讃美歌を指示し、聖書を朗読し、そして祈ることで充分であった。余は尊敬すべき人を一目見るというただ一つの目的のためにも、決して余のチャペル礼拝を『カットした』(すなわち欠席した)ことはなかった。彼は神を、聖書を、またすべてのことを成就する祈りの力を、信じた。・・・余には、一日の戦闘に備えるために、彼の澄んだ、響き渡る声にまさる何物をも必要としなかった。・・・・。 余は告白する、サタンの余を支配する勢力は余がかの人と接触するにいたって以来弱まり始めたことを。徐々に余は余の原始の罪と派生した罪とを払い清められた。カレッジ生活二年後、余は天の方を指した途にあったと思う。余が躓くのを止めたというのではない、余は依然として絶えず躓くからである。 しかし主は憐れみ深くありたもうこと、そして彼は余の罪を彼の御子にありて消し去りたもうた事、彼に依り頼んで余は永遠の愛から遠ざけられていないことを今や知るが故である。」(「余はいかにして・・・」(157~158p) 彼は、シーリー総長と出会うことによって、このような深い人格的感化を受け、福音の何であるか、何でないかを深く把握するにいたったのですが、実はそれ以上に、彼が得た最も深い霊的体験は、「主はそこにて、余にご自身を現したもうた」という彼の言葉によって示されています。 彼が「主はそこにて、余にご自身を現したもうた」(The Lord revealed Himself to me there,内村鑑三英文著作全集第一巻p.166 教文館 昭和46年12月)と記していることこそ、何重にも特記されるべき記述であると思います。 reveal という語は、辞書によれば、「今まで隠されていて見えなかったものが姿を現す」とあります。 また「ご自身」という訳語は、元の言葉は「Himself」と、最初のHが大文字で記されています。これは「ほかならぬ主ご自身」、ということです。ほかならぬ主ご自身が彼内村に、ご自身を現してくださった、ということです。 もちろんここで忘れてならないことは、内村が、この後に続けて、especially through that one man, the.・・・President of my college 特にかの一人の人を通して、と記し、それがシーリー総長先生を介して、であることを明示しています。 ということは、彼内村は、シーリー総長との出会いを欠いては、この霊的体験にあずかることが、恐らくは、なかったであろう、ということです。 内村は後年(「クリスマス夜話-私の信仰の先生」1925年12月「聖書之研究」)という文章で次のように記しています。 「私は先生において、私の理想のキリスト信者を見んと欲した。しかるに、何ぞ図らん、先生は私の理想とは全然違った人であった。先生において見るべきものは、学識でも威厳でも活動でもなかった。嬰児のごとき謙遜であった。 先生は神学と哲学において偉大であったが、その偉大は少しも外に現れなかった。先生がその偉大なる人格と学識とを全部主イエス・キリストに捧げておるを見た。これを見し私のキリスト教観は一変した。私はその時初めてキリスト教に接したように感じた。」 内村は、このように、シーリー先生を介して、あるいは経由して、シーリー先生の背後に、その向こう側に、シーリー先生とは全く別の存在である方の存在、シーリー先生を生かし、シーリー先生を満たし、先生が、その偉大なる人格と学識とを全部捧げている、その当のお方を確かに示されたのです。 彼内村が、たぐいまれなる深い人格と信仰の持ち主であるシーリー総長に出会うことが出来たのも神の深い配慮でありますが、それと同時に、否それ以上に驚くべきことは、彼内村はここで、十字架に架けられた後、三日後に復活され、いま活きて働いておられる主キリストの顕現に接した、ということです。もちろん顕現と言っても、イエス・キリストが、肉の目に見える姿を持って内村に現れたも歌ということではないでしょう。しかし、内村は、この時に、シーリー先生が、自分のすべてを捧げておられる、今活きて働いていらっしゃる、その当のお方の存在を確かに、目に見えるように確実に、霊的に確信したといってもよいかもしれません。 先にも引用いたしましたように、内村は、「余の主なる救拯主にある勝利の誇りをもってそこを去った。その時以来余はなお多くを学び多くのことを知った。しかしただ余のカレッジの古典的な丘の上で知ったことを確証するにすぎなかった。」と述べています。 このことは、このカレッジでの、主ご自身が彼に現れて下さった、という経験が彼にとってどんなに根本的な、決定的なものであったかを示しています。 彼はここで、その後40年余にわたる彼のすさまじい闘いの生涯の固き礎となる、キリストの福音の根本を把握したのです。そしてそれは、肉の目には見えないとしても、確かにいま活きて働いておられる主にお会いしたことこそ、その根底をなしている、と私は考えているのです。 よくよく思い起こして見ると、私たちに与えられている聖書は、この内村の経験と同じような、活きて働いておられる主にお会いする、という深い霊的経験を与えられて歩んだ、何人もの先人の記録をわたしたちに残してくれております。 父テラに導かれて、偶像の支配するカルデアのウルを出たアブラムに、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」(聖書協会訳)と語りかけたもうたのも、この方でした。 それ以後アブラハムとなった彼に度々現れて、彼に語りかけたもう、このお方の言葉に従って、彼は、まさに行く先を知らずして、その生涯を歩み続けたのでした。 「主は、いま活きておられる」 その2 自分がエジプト人ではなく、エジプト人に、奴隷のようにこきつかわれているヘブライ人であることを知ったモーセは、一度は力を持って同胞を立ち上がらせようとして失敗し、追われる身となり、ミデアンの地に逃れ、そこで人知れずに自分の人生を終わらせようとしていた時、燃えているのに決して燃え尽きることのない芝の中から、彼に現れたのもこの方でした。 「わたしはあってある者」と言われたこの方は、躊躇しているモーセに、「わたしは必ずあなたと共にいる。」と言って彼を励まし、あの出エジプトを敢行させたのでした。 またこの方は、イスラエルの王アハブの時代に、主に対する熱心から、バアルの預言者と争って勝ち、キションの河原で彼らを皆殺しにしたエリヤが、アハブの妻イゼベルの手に追われ、這う這うの体で、ホレブの山に辿り着きますが、そこで自分の命が絶えることを願ったとき、静かにささやく声で、彼に「エリヤよ、ここで何をしているのか」と問いかけ、「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である」と語り、「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ」と、彼を励ました方でもあります。 その後、イスラエルの民が、モーセをして、自分たちをエジプトから導きだしてくださったこの方のことを忘れて、偶像崇拝に身を委ねようとした時に、アッシリアに、そして、さらにはバビロンによって亡国の苦難を備えたもうたのも、このお方でした。 しかし、亡国の中にある民の深い悲しみと悔いの思いをしっかりと見てとって下さり、一人の無名の青年を起こし、イスラエルの民に現れて下さったのも、この方でした。 この方は 「わたしの僕イスラエルよ。 私の選んだヤコブよ。 わたしの愛する友アブラハムの末よ。 わたしはあなたを固く捉え、地の果て、その隅々から呼び出して言った。 あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び、決して見捨てない。 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。 たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与え、あなたを助け、 わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ書41章8‐10)と語りかけ、 さらに「ヤコブよ、あなたを創造された主は、 イスラエルよ、あなたを創られた主は、今、こう言われる。 恐れるな、わたしはあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。 わたしは主、あなたの神、イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。」 (イザヤ書43章1‐3) と呼びかけて、望みを失っていたイスラエルの民に深い慰めと、勇気と希望を与えてくださった方でもありました。 時代が下って、主の弟子たちがその新しい歩みを始めた時、この道に従うものを見つけ出したら、男女を問わず、縛りあげて、エルサレムに連行しようとしていた、ユダヤ教の逸材サウロに現れて、彼の心の向きを180度変えて、神の子の十字架による贖罪の福音宣教者パウロとして生まれ変わらせたのもこの方でした。 このようにわたしたちの先人がせん方つき、絶望の淵に沈むほかなくなった時に、あるいは民の罪が極まったときに、主は御自らを顕現なさり、ご自分が活きて働いておられることを確かに彼の民に示し、民の霊的命を新たに回復せしめて、生き返らせて下さったのでした。 話は変わりますが、今からもう二十年も前のこと、その年の正月のある日、わたしは一人の友人と共に、二泊三日の会期で開かれる、通称アシュラムと呼ばれる超教派のある集会に参加すべく、滋賀県琵琶湖のほとり近江八幡の国民宿舎に向かいました。 そこに、日本各地から約150名ほどの信徒が集いました。その集いは、終始沈黙を大切にし、また、会の主なプログラムの進行と並行して、参加者がかわるがわるに自ら登録して行う、二十四時間の連鎖祈祷が、全会期中、絶えることなく続けられていました。 この会の中心的なプログラムは、「聖書静聴の時」と名付けられ、参加者の一人一人が、聖書に向きあう、一回、一時間から一時間半の、全部で3,4回に及ぶプログラムでした。 この時間は参加者誰もが、たった独りで、あらかじめ定められた、聖書の箇所に向かい、聖書を通して語られる霊的な恵みをいただくべく、聖書に集中して聴く時間でした。 そして、この時間の後に、必ず、「ファミリー」と名づけられたグループごとの集いが設けられ、聖書静聴の時に与えられた、御言葉を通しての恵みについてファミリーのメンバーにかたり伝えるために設けられた時間で、「恵みの分かち合い」と呼ばれていました。 わたしはこの集いを貫いている考え方、精神、特に「聖書静聴」という姿勢に大きな衝撃にも似たものを感じ、その時以降10年の間、毎年この集会に参加してまいりました。時には韓国からも、台湾からも、またブラジル在住の方もお見えになったこともありました。 この10年はわたしの信仰の歩みにとって、とてつもなく大切な、豊かな実りをもたらしてくれたと思い、主なる神に感謝するものです。 何が私にとってそれほど大事なものであったか、をそのいくつかに絞ってお話しさせていただきます。 まず最初に、この集いでしばしば聞かされたことは、「聖書は、読む物ではなく、聴くものだ」、という言葉でした。これはわたしにとっては、それまで聞いたことのないことで、まさに「青天の霹靂」ともいうべきものした。この言葉は、聖書と私の関係に大転換をもたらすこととなりました。 聖書は、確かに神の真理がそこに封じ込められている宝庫ではありますが、しかし聖書も書物であり、活字によって文字が記されているのですから、これを読む、という行為は全く当然のことであり、それまでの私は何の疑問も感じなかったのです。 私にとって、聖書はまさに他の書物と同じく私が読む、読んでそこから、そこに封じ込められている真理、神の言葉を読み取るべき対象でした。 つまり聖書は、わたしの研究対象でした。聖書を自由に出来るのは私でした。 だから、聖書と私の関係は、あくまでも、わたしが主、聖書は従、という関係でした。 このようなわけですから、わたしは、聖書を対象物として、私の知恵と知識と思考の力と、私の努力で、聖書に関する解説書はもちろん、有名な注解書や先人の著書を読み漁ることによって聖書の真理を研究し尽くそうと思い、そのための努力は惜しまない、それが聖書の正しい読み方である、と思っておりました。 ところが、「聖書に聴く」、となりますと、聖書が主で、私は、その聖書が語る言葉を聴く立場に置かれることになり、わたしの立場は、聖書に対して従の立場になることになります。ここに、聖書と私の位置関係が、それまでの関係と逆転する、という事態が起こってまいりました。聖書が語ることをそのままに、ありのままに受け留め、聖書の言葉そのものに、全身全霊を傾けて聴く、その「聴く」姿勢こそ大切なのだ、ということを学んだのでした。そして、そのことは、これまでの、聖書に対する私の考え方、聖書に向かう私の態度,姿勢が、根本的に倒錯していたことを示されたのでした。 このことを示されて以来、わたしは難しい参考書や、注解書を読むことをほとんど止めてしまいました。わたしの日曜礼拝の講話は、毎朝決まって聖書に向かう時に、聖書からわたしに示されることをそのままに語ることで守られるようになりました。 勿論聖書だけ、というのは極端な表現ですが、聖書が、これまでとは違った意味で、私の中で決定的に中心となり、これまでとは全く逆の姿勢、聖書が主で、わたしが従ということが最も基本となったのでした。 この事実はわたしにとっては、まさに、聖書と自分との位置関係に関してのコペルニクス的転回(これは私が親しくしていただいている村瀬俊夫牧師が、私に教えて下さった言葉ですが)、天動説から地動説への転換となりました。 このようなことを示されて以来、わたしは、毎朝、決められた時間を、自分の部屋にこもり、ただただ聖書に向かい、聖書のみ言葉に聴く、密室の時を持つようになりました。それは、まさに、わたしの祈りの時であり、あの「聖書静聴の時」を自分の生活に取り入れ、わたしの生活の中心とする習慣を確立するためでした。 もっとも、そうは言っても最初の頃は、ただ我武者羅に時間を守ることに汲々としてしまい、あるいは眠さのために、頭がボーっとしたままに過ぎてしまったり、という時もありましたが、徐々にわたしの生活のリズムの中に確かな時間として組み込まれてまいりました。 わたしは毎朝、出勤前の1時間ほどのこの時間を、自分の最も大切な時間として聖書に向かい、聖書を通して語られる主のみ言葉を聴かせていただく時として守ってきました。 それはまさにわたしがたった一人で、聖書を通して語ってくださる、主イエスにお会いすることの許された密室の時間となりました。 もう一つ、わたしに決定的な態度変換を迫られたことがありました。 それは、聖書の中の主イエスの言葉、パウロの言葉、また旧約での神の言葉を、主が、いま聖書に向かっている私に直接語られた言葉として聴く、ということでした。 もちろん聖書の言葉は、その時代々々に生きた人たちに語られたものでありますが、それは時代を超越して、いま私に語られているものとして聴くということです。 このことはわたしが言うまでもなく、ほとんどの皆さんが経験されていることと思います。 こういうことがありました。 マタイによる福音書23章には、律法学者やパリサイ人を激しく非難するイエスの言葉が記されています。 「律法学者たちとファリサイ派の人々,あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。」「あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」「あなたたちは・・・白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる穢れで満ちている。」「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を逃れることができようか」・・・。(聖書協会訳では「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ、あなた方は、わざわいである。」文語訳では「禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ」と、もっと強烈に訳されています。) 「主は、いま活きておられる」 その3 かつて、私はこのイエスの言葉を読み、ああ、律法学者やファリサイ人たちは、とんでもない人たちだ、と内心思って、自分をいつの間にかイエスと同じ立場において、何の疑問も感じなかったものでした。 ところがある時から、それは全く間違いで、主イエスがこの言葉を投げかけているのは、実は当時の律法学者やファリサイ派の人たちではなく、まさにいま聖書に向かってこの言葉を耳にしている私に対してである、と気がついて愕然といたしました。 しかし、イエスの言葉をその都度そのように、お聴きすることによって、イエスの十字架の私にとっての意味するところが少しずつ、見えてまいりました。 主は、そのような偽善者である私のために十字架にかかって下さったのだ、ということが少しずつ分かってまいりました。 先ほどお話しいたしました、アシュラムの集いに何年か出てからのことでした。 第二日目の朝の、早天祈祷会のことでした。その朝は、愛媛県今治にある三島真光教会の金田福一牧師が担当されました。金田牧師のとりあげた聖書の個所は、イザヤ書43章1、2節でした。 先ほども読みましたが、もう一度読んでみます。 「ヤコブよ、あなたを創造された主は、 イスラエルよ、あなたを造られた主は、 いま、こういわれる。 恐れるな、わたしはあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」 金田先生はその時、「皆さん、このヤコブというところに、そしてイスラエル、というところに、ご自分の名前を入れて読んで御覧なさい。」と言って、先生ご自身が、こう読まれました。 「金田よ、あなたを創造された主は、 福一よ、あなたを造られた主は、 いま、こういわれる。 恐れるな、わたしはあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」 わたしは、この勧めに深く感動してさっそく実行いたしました。 朝、たった一人で密室にこもり、わたしは自分の名をそこに入れて、繰り返し繰り返し、口ずさみました。 「関根よ、あなたを創造された主は、 義夫よ、あなたを造られた主は、 いま、こういわれる。 恐れるな。私はあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」 このようなことが習慣になってしばらくが過ぎた、ある日の朝、いつもの通りただ独り、自分の部屋で聖書に向かっていたとき、ふと、あのお方が、時を超え、場所を超えて、今、聖書のみことばを通して、わたしにも、その細き静かな声でもって、語りかけて下さっている、という思いが、突然私の中に湧き上がって来ました。 もちろん、肉の耳にその声が聞こえたわけではありませんし、肉の目に主のお姿をはっきりと認めたわけではないのです。が、それでも、深い沈黙の中に、肉の感覚を超えて、わたしに語ってくださる主イエスがここにいらっしゃる、という静かな思いが、わたしを満たしたのです。 その時以来わたしは、わたしに、聖書の言葉を通して、このように語りかけて下さっている方が確かにいらっしゃるということを、もう決して消すことのできない事実として、わたしの魂の最も深いところに刻印されたのでした。 今から思い返してみると、わたしはまったく自覚しておりませんでしたが、あのときこそ、主が、最初に、私に語ってくださったのだ、と思い起こすことがあります。 わたしは、田舎から東京に出てきて学生生活を始めようとした時、時代の荒波に翻弄されて、完全に自分を見失いそうになった時、矢内原忠雄の名を知り、それを通して内村に、そして無教会に導かれて今があるのですが、そのような中に出会った、マタイによる福音書11章28節からの、あの言葉でした。 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙そんな者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 この言葉は、それ以来、いつも、主の語って下さる言葉として、わたしの耳に残っております。 そしてもう一つ、これはもっと後になってからの事ですが、ヨハネによる福音書15章3節から5節の言葉です。 「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。・・・ブドウの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。・・・人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶことができる。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 ここで、主は「あなたがた」と、複数で、語って下さっていますが、わたしはあるときこれをこのようにお聴きしました。 「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたにつながっている。・・・ブドウの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。・・・人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶことができる。わたしを離れては、あなたは何もできないからである。」 主はいま活きて、聖書のみことばを通して、確かにわたしに語って下さる、という、この確信はわたしのキリスト信仰の最も固い礎となりました。それは、無教会で育てられたわたしの信仰をなお一層固いものにしてくれました。 わたしの罪の贖いのために罪のない神の御独り子が十字架にかかって死んでくださった、しかも、十字架で死なれた神の御独り子キリスト・イエスは、その三日後に復活なさった、ということが私が無教会の群れに加えていただいた当初から、最も大事なこととして教えていただいたことであり、わたしたちの誰もが,最も大切なこととして信じていることです。 そしていまわたしは、復活なさった神の子キリストは、いまこの時に、確かに活きて働いていらっしゃる。そればかりではなく、いつでもどんなときにも、わたしたちに臨んで、わたしたちを、キリストの聖霊で満たしてくださっていることを知りました。 さらに主は、この世の終わりを超えて、永遠にわたしたちを導き、新しい天と新しい地とを、主が愛してくださるわたしたちに用意してくださっている、しかも時満ちて、主は、私たちの肉の目に見える姿で、再びお出でくださる、ということを最も確実なこととして、わたしは信じているのです。 主は生きておられる。主はいま活きて働いておられ、わたしたちを聖霊によって満たして、導いて下さっている。 わたしの救い主、真理であり、命であり、道であり、希望そのものである主キリスト・イエスが、いま活きて働いていらっしゃる、ということこそ、わたしの、わたしたちの、決して尽きることのない希望の根拠である、とわたしは考えているのです。 終わりに、内村の言葉を読ませていただき私の話を終わらせていただきます。 これは「聖書之研究」(1908年2月)の所感として載せられたものです。 キリスト教の極致 「キリストは今なお活きて我らとともに在したもう」、キリスト教の極致はこれなり、 キリストにしてもし単に歴史的人物ならんか、 キリスト教の倫理はいかに美にして、その教義はいかに深きも、 そのすべては空の空なり。 キリストにして今なお在ますものならざらんか、 われらは今日ただちにキリスト教を捨てて可なり。 キリスト教の存在いかんは単にキリスト現在の一事に懸る。 これでわたしの話は終わりです。ご静聴ありがとうございました。 |